大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)5067号 判決 1963年5月24日

原告 同和火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 岡崎真一

右訴訟代理人弁護士 竹田準二郎

被告 根無信義

右訴訟代理人弁護士 川合五郎

同 鎌倉利行

主文

被告は原告に対し六十五万円およびこれに対する昭和三十五年十二月七日より支払ずみまで年六分の割合の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、原告において担保として二十万円またはこれに相当する有価証券を供託すれば、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

原告が損害保険業を営む会社であること、原告が昭和三十三年一月十八日訴外浜野義一との間に、別紙目録記載の物件について原告会社普通保険約款により保険金額百三十八万円、保険期間昭和三十三年一月十八日より一年間、保険料二万四千八百四十六円、被保険者同訴外人とする火災保険契約を締結したこと、浜野は同年七月八日被告に対し被告から借受けた六十五万円の債務の担保として右保険契約に基づく保険金請求権の上に質権を設定し、保険事故が発生して原告からその損害のてん補を受ける場合は被告の浜野に対する債権が弁済期前であつても保険金の内六十五万円は被告において直接原告から受取ることができる旨を約し、同日原告は右質権設定を承諾したことおよび右保険の目的は同目録記載(一)の建物の内の一棟を除くほかは質権設定契約以前の同年七月二日午後六時頃火災にあつて全焼していたので、原告はその損害を調査し、保険者である原告の負担するべき金額を八十七万九千九百六円と査定し、この金額を保険金として支払うことに決定し、同月二十五日その内六十五万円を被告に交付し残余を浜野に支払つたことについては、当事者の間に争いがない。≪証拠省略≫によると、浜野は石綿の加工販売業を営んでいたのであるが多額の負債ができて倒産寸前の状態に落ち入つたので、昭和三十三年五月中頃番頭格の訴外丸山亀三郎と挽回策を相談した結果工場に放火し、これを失火のように装うて工場建物等に対する火災保険金を騙取しようと企てるに至り、すでに共栄火災海上保険株式会社との間に保険金額五百十万円、原告会社との間に本件百三十八万円の火災保険契約を締結している工場の建物、原材料等(別紙目録記載の物件等)に対し同月十九日更に大正海上火災保険株式会社との間に四百五十万円の火災保険契約を締結した上、前記丸山亀三郎、工員の武輪武雄、同楠本新一と共謀し同年七月二日午後六時頃、武輪、楠本の両名において工場内油焚場の窯焚口附近にガソリンを撒いてこれに焚口の火を引火させ、更に工場建物全体に燃え移らせて放火し、よつて別紙目録記載の物件等を全焼させたことが認められる。

そうだとすると、本件火災は被保険者浜野の放火によつてひき起されたものであるから、その損害については保険者の原告にてん補責任のないことは商法第六百四十一条の規定に徴し明かである。

被告は本件火災が被保険者浜野の放火によつて生じたものであるため保険者の原告に損害てん補の責任がないとしても原告は被告のための質権設定を異議なく承諾したからその承諾により本件保険金請求権は何等抗弁権を伴わない債権として質権の拘束に服するに至つたものであつて、被保険者の悪意による免責の抗弁は質権者の被告に対抗できないと主張するので考えてみよう。

損害保険における保険金請求権なるものは保険者の免責事由とされない保険事故によつて被保険者に損害が発生したときに始めて権利として具体化するものであつて、それまでは言わば停止条件附権利であり、その条件附権利も保険期間中に保険事故によつて保険目的が滅失しその保険事故が保険者の免責事由によつて発生したものであるときはこれにより条件不成就に確定し消滅するものである。元々そうした権利である保険金請求権の上に被保険者が設定した質権についての第三債務者の承諾は、わざわざ、免責事由が存在すれば保険金を支払わない旨を明言しなくても、当然そのことを前提としているものである。たとえ、保険事故はすでに発生しておりその事実を保険者が知つていて承諾したとしても、同様である。したがつて、保険者は質権設定に異議を止めずに承諾を与えても、発生した保険事故に免責事由があれば、これを主張することができ、その抗弁は質権者に対抗できるものである。よつて、被告の右主張は採用できない。

次に被告は、原告は被告の本件質権を承諾した際、浜野から保険金は直接債権者の被告に支払うよう委託を受けてこれを承諾し浜野に代つて浜野の被告に対する債務を弁済するため本件保険金を被告に交付したものであつてこれにより被告の浜野に対する貸金債権は消滅したと主張するのであるが、保険者は保険金請求権上の質権を承諾すれば、当然、保険事故が発生し保険金支払義務が生ずると質権者のこれが取立に応ぜざるをえず、被保険者にこれを支払うことができないものであり、原告がその主張のような委託を受けてこれを承諾し浜野に代つて浜野の被告に対する債務を弁済するはずがなく、むろんそのような事実を認めるべき証拠はない。

被告は本件火災が浜野の放火によつて発生したものである限り原告は浜野に対し保険金返還請求権を有するから、本件出捐によつて原告に損害はないと主張するが、先に認定したとおり、原告が被告に支払つた保険金の対象とされた保険目的の建物等の焼失は被告のための質権設定以前であり、その滅失は保険者の免責事由とされる被保険者浜野の放火によるものであるから、浜野の原告に対する右建物等についての保険金請求権は被告のための質権設定以前に不発生に確定し消滅していたものであり、原告が浜野に対し本件保険金を支払う義務はなく、そのほかに原告が浜野に代つて被告に金円を支払うべき法律関係は何もないのであるから、原告が被告に交付した本件保険金について浜野に返還請求をなしうる理がない。なお、以上認定の事実によれば、原告が本件保険金を被告に交付するべき法律上の原因は何もなかつたのであるから、その出捐が原告の損失であることは明かである。

被告は本件保険金の支払が非債弁済であつて不当利得が成立するとしても、被告は本件保険金の支払により浜野に対する貸金債権は消滅したと誤信し右貸付金の担保の土地についての抵当権等の登記の抹消登記をし、かつ、債権証書を返還したから、原告は民法第七百七条第一項の規定によつて不当利得返還請求権を失つたと主張するのであるが、民法第七百七条の規定は債務者でない者が他人の債務を自己の債務と誤信して弁済したときのそれであり、本件は原告が自分に債務がないのにそのことを知らず債務があると誤信し、自己の債務として浜野に対して弁済するため被告は質権者としてその取立権を有すると誤信して被告に支払をしたものであつて、他人の債務を自己の債務と誤信して弁済したのではないから、その余の判断をなすまでもなく、被告のその主張自体失当である。

以上の事実によると、被告は浜野に対する債権質権者として第三債務者の原告から、非債弁済である本件保険金の支払を受けたものであり、その受益が被告の不当利得であることは明かであるが、弁論の全趣旨に徴すれば、被告は善意でこれを受領したことが明かであるから、原告が本件訴を提起したときまでの間、その利益が存在したか否かを考えてみよう。

≪証拠省略≫を総合し、弁論の全趣旨を参酌すると、被告は、当初から本件保険金を原告から支払を受ければ直ちにこれを浜野に対する貸付金六十五万円に弁済充当する意思であつたものであり、そして、原告からこれが支払を受けると、浜野に対する右貸付債権は弁済によつて消滅したものと誤信し、貸付金の担保のために浜野所有の当時時価合計八十万円以上の二筆の土地の上に有していた抵当権および所有権移転請求権についての登記の抹消登記をしたものであり、浜野は前記放火を敢行する以前から破産状態にあつて支払能力なく、被告が抵当権設定登記等を経由していた二筆の土地は浜野が前記放火によつて詐取した保険金の返還請求のためいちはやく共栄火災海上保険相互会社外数社の保険会社から仮差押えを受けてしまつたので、被告の浜野に対する貸付債権は取立不能に帰し、その債権価値は皆無に近いものであることが認められる。そして、この被告の浜野に対する貸付金の取立不能による損害は本件受益の事実に起因するものであり、その間に因果関係のあることは明かである。そうすると、被告が原告に返還するべき不当利得による現存利益はないというべきである。

よつて、不当利得を請求原因とする原告の請求は理由がない。

そこで、特約による請求について判断する。

被告が本件保険金を受領する際、「後日に至り貴社に御支払の義務がないことが判明し、もしくは他から苦情が出たときは保証人連帯をもつて一切の責を負い貴社に一切ごめいわくはおかけいたしません。」との文言記載の領収証に記名捺印してこれを原告に交付したことについては、当事者間に争いがない。

ところで、被告は右文言は附合契約における例文であつて特約たる効力を有しないと主張するのであるが、≪証拠省略≫によつて認められる、右領収書には、保険金受取人としての被告の外、被保険者浜野および保証人丸山亀三郎が連記捺印している事実および証人佐々木鉄雄の証言、同証人の証言によつてそれぞれその記名の保険会社の保険金領収証用紙であると認められる甲第七、八号証を総合して認められる、火災保険会社の多くは保険事故が発生し、その事故によつて被保険者に損害が生ずれば、直ちに調査をし速かに事務手続を済まして保険金を支払う方針を採つているが、その支払を済ましてからずつと後日になつて保険者にてん補責任のなかつたことの判明することが往々にしてあるので、保険金請求権上の質権者に対し、これが支払をするときには質権者をして保険金の支払による受益と因果関係のある事実によつて損害をこうむつても受取つた保険金を全額返還することを約せしめているものである事実を総合して考えると、右文言は、保険金支払の際における保険金請求権上の質権者と第三債務者たる保険者の間の特約であることは明かで、これを附合契約における例文と解することはとうていできない。

そうだとすると、被告は本件保険金は原告に支払義務のないことが判明すればこれを返還する旨を約したものであり、その後支払義務のないことが判明したのであるから、その受取つた保険金六十五万円および本件保険金の支払は原告のための商行為であつたことが明かであるから、これに対する本件訴状副本が被告に送達された日の翌日であることの記録によつて明かな昭和三十五年十二月七日より支払ずみまで商法所定年六分の割合の遅延損害金を原告に支払う義務があるわけである。

よつて、原告の請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条を、仮執行の宣言については同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 麻植福雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例